第2回 長岡杏子さんに聞く

<TBSアナウンサー>

 10月19日、私達の緊張をあらわしているような秋雨・・・。「長岡さんってどんな人なんだろう。」・・・緊張と興奮が胸を高鳴らせ、いよいよTBSアナウンス部にお邪魔してみると、雨も吹き飛ぶような笑顔で長岡杏子さんは私たちを迎えてくださいました。

 さぁ、長岡先輩に聞いてみよう!

 

―最初に、学生時代のことをお聞かせください。

 

  小さい頃から学芸会や弁論大会など人前で話すことが大好きで、漠然とですが、なにか話す仕事につきたいなぁと思っていました。高校時代は放送部に所属していて、NHK杯放送コンクール・アナウンス部門の県大会で優勝、全国大会で入賞(上位10人)しました。アナウンサーになりたいと思うようになったのはその頃でした。
  放課後は、毎日裏山で発声練習をして、部活が終わると、夏はよく横手バスターミナル前の「さわた」に友達とサンモリッツを食べに行っていました。今でも夏に帰省すると必ず食べに行きます!
高校時代には影響を受けた先生がたくさんいらっしゃいますが、強いて挙げるなら得意科目だった国語の工藤先生・田代先生でしょうか? いつも授業が待ち遠しかったですね。田代先生の「梶井基次郎の『メロン』はいい小説だ」という発言はいまだに時々なつかしく思い出します。先生、もう間違えていらっしゃらないかな?? それから、一年の担任だった音楽の島森先生、放任主義のようで、いつも私たちをあたたかく見守っていてくださるすてきな先生でした。挙げていたらきりがありませんね。

  大学では、政治学を専攻していました。あまりまじめな学生ではなかったのでそれ以上は聞かないでください(笑) 2年生頃からアナウンススクールに通い、本格的にアナウンスの勉強もはじめていました。 

 

-アナウンサーになられてからは、いかがですか?

 

  私が就職活動をしていたころは女子アナブームで、帰国子女の女性アナウンサーが脚光をあび、受験者の間では地方出身者は採用されないという噂がありました。倍率もものすごかったので『私が受かるはずがない』とかえって気楽に試験を受けていました。それがよかったんでしょうね。受験者5千人中受かったのはふたり。うれしかったですね。
でもTBSって全国で秋田だけネットしていないんですよ。両親はちょっぴり残念そうです。

  アナウンサーという仕事の魅力は、なんといっても、いろいろな人に出会えることだと思います。政治家、大企業の経営者、町工場の職人さん、スポーツ選手・・・ お会いする多くの人から刺激を受けます。
  以前、世界で最も小さいエンジンを開発した大阪の町工場に取材に行ったときのこと。家族4人でやっている小さい町工場なのですが、70歳を過ぎたお父さんが、油がしみこんでまっ黒になった手を見つめながら「一生働き続けること。それがなによりすばらしいことやと思う。」とおっしゃったんです。重みのある言葉でした。取材を通して、心を揺り動かされた時、この仕事について幸せだなぁと思います。
 そうそう、「やきそばで町おこし!?」という取材で、横手にも行きました。なんと仕掛け人は市役所の観光課に勤める、同級生の坂水剛さん。カメラがまわっているのも忘れて思わず「ごっちゃん!!」と駆け寄っちゃいました(笑)。地元での同級生の活躍は本当にうれしいです。もちろん、リポートは横手弁で。字幕スーパーをつけられてしまいましたが、視聴者からの反響は大きかったですよ。
 
  入社して10年。ずっと情報系の番組を担当し、毎週各地に取材に行っていたので、全都道府県、一度は足をふみいれています。ただニュースは鮮度が勝負なので、どこに行っても、空港や駅からまっすぐ現場に向かい、取材が終わるととんぼ返り。観光地などに立ち寄る機会はもちろんありません。せっかく地方に行っても、食事はいつも移動の車中でコンビニのおにぎりなんですよ。せめてもと、ご当地おにぎりを選んでいますが(笑)


―普段の、1日の流れを教えてください。

 

  朝は6時に起床、テレビでニュースをチェックしながら身支度をし、洗濯・ゴミ出しなど家事も手早く済ませます。7時半、朝刊を読みながら電車で会社に向かいます。(アナウンサーは普通の会社員ですので、早朝番組の担当者以外はみんな電車通勤です。)
  出社すると、まず報道フロアでニュースをチェック。泊まりのニュース担当者からその日のニュースの背景などをくわしく聞き、その後、インサイト(注:(特)情報とってもインサイト)のスタッフと、他局のワイドショーなどもチェックしながら、番組内容の打ち合わせをします。ここでおにぎりやサンドイッチをちょっとつまんで朝ごはんです。
  メイク後、10時半から出演者が全員顔をそろえ全体の打ち合わせをします。『ストレートニュースよりわかりやすく、ワイドショーより知的に』が番組コンセプト。よりわかりやすくするには?と打合せで議論が白熱することもよくあります。
12時から1時間の生放送。番組終了後、反省会と翌日の打ち合わせをし、14時頃から遅めのランチ。出演者やスタッフとわいわい楽しい時間です。でも、他の仕事が入ってしまうと食べそびれることもしばしば・・・ 
  その後、担当している他の番組やBS、ラジオ番組の収録、ナレーション収録などをして夕方退社します。仕事によっては帰宅が深夜になることもあります。

  帰宅後は、毎日自分が出演した番組をチェックします。生放送中はいっぱいいっぱいなので、後から客観的に確認するんです。気付くことは多いですよ。自分のコメントの内容や、話し方・表情、衣装や姿勢、お化粧まで・・・ もっとこうすればよかったと反省することばかり。司会は初めてなので、まだ試行錯誤の日々です。

  家ではずっとテレビを観ています。「~ながら視聴」ですが・・・
「報道ステーション」や「ニュース23」は毎日欠かさず観ます。もちろん、バラエティーも大好きですよ。
  あとは、インターネットで次の日の放送テーマの下調べをしたり、ニューヨークに留学中の夫と、電話やチャットをしたりしていますね。

  ランチが遅いので、夕食はいつも軽め。取材相手の方やスタッフ、友人たちと食事に行くこともよくあります。いろいろな業界の方のお話を聞くのは楽しいし刺激になります。

―今までお仕事をされてきた中で、1番印象に残っている言葉は?

  以前「ブロードキャスター」(土曜日22時~)を担当していた時、MCの福留功男さんに「アナウンサーは10秒20秒で何を言うかで差がつく。特に、コーナーを締める最後の一言、そこで何を言うか。 人間性・知識・考え方、すべて出る。そこが勝負なんだよ。常にそれを意識して仕事をしなさい。」とおしえていただきました。しゃべり手としての厳しさを学びましたね。今でも常にその言葉を胸に刻んでいます。

 

―お仕事されている中で、大変なことや悩みはありますか?

 

  毎日扱うことが違うので、事前の準備が大変ですね。あわてて資料と格闘し、にわか勉強なんて夜も。一夜漬けは学生時代から慣れていますが(笑) 本当はもっともっと勉強して知識の幅を広げたいのですが、まだまだ苦手なジャンルもいっぱい。毎日テスト前のようですが、でも、新しいことを知るのはやはり楽しいですね!

 

―ストレスを感じるようなことはありませんか?

 

  ないです! わりと脳天気なんでしょうね。失敗して自己嫌悪に陥ることはよくありますが、次の日にはわすれちゃう。家事がいい気分転換になります。特にアイロンがけは、仕事のことを忘れて無心になれるので好きですね。それがストレス解消法かな? あっ、もちろんお酒も。みなさんも「秋田出身なんだから強いでしょう?」と言われること多いと思いますが、私、その期待はうらぎりませんっ!

 

―これからどのようなことを伝えていきたいですか?

 

 犯罪被害者に関する報道はライフワークとして今後も取り組んでいきたいと思っています。そのきっかけとなったのは98年にダンプカーに轢かれ亡くなった片山隼くんの事故の取材でした。マスコミを通じたご両親の涙の訴えに多くの方が賛同し、検察庁の被害者への対応システムが変わりました。被害者の声が世論を動かし、社会を変えたんです。
突然、事件にまきこまれ被害者となってしまった方々。最愛の家族を失ってしまった方々・・・ その悲しみに寄り添う時、私はメディアの一員として何ができるのかと考えさせられます。声にならない声を社会に伝えていきたいと思っています。

 

―これから挑戦してみたいことはありますか?

 

  挑戦というのではないですが(笑)、そろそろママになりたいなぁと思っています。それが今年の目標かな??

 

―後輩たちに、メッセージをお願い致します。

 

 行動範囲を広げて、いろいろな所に足を運び、いろいろな人に会いに行きましょう。どこかに旅行に出かけるのもいいし、通学路(電車やバスのルート)を毎日変えてみるだけでも発見があるはず。 昨日とは違うことを毎日少しだけしてみてはどうでしょう? 高校のOBにも各界でご活躍中の先輩がたくさんいらっしゃいます。あつかましく訪ねてみましょう。「横手高校の後輩です!」と言われれば、自分にできることはしてあげようと先輩なら思うはず、きっといろんなことを教えてくださるでしょう。
すてきな出会いがたくさんありますように。

 

2004年10月19日 HP委員会がお話を伺いました。